1.あらすじ

かつて、その名を馳せたハリウッドスター ボブ・ハリス(ビル・マーレイ)は日本のサントリー・ウイスキーのCM撮影のために来日している。都心に位置するパークハイアット東京に宿泊しながら撮影に挑むボブに当時のスターとしての輝きはない。

同ホテル、カメラマンの夫を持つアメリカ人の新妻シャーロットは退屈なホテルでの日々にうんざりしていた。

そんな二人は、ある日ホテルのバーで出会い意気投合する。

言葉も文化も異なる異国で出会った男女。急速に距離を縮める二人の淡く切ない関係が東京のと言う名のレンズを通して描かれる。

2.キャスト

ボブ・ハリス(ビル・マーレイ)

倦怠期を迎えた中年のハリウッドスター。一世を風靡するした当時の面影も今はなく、結婚25年目の妻と子を残し、安いギャラで日本のCM撮影のために来日中。

シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)

カメラマンの夫について日本に来た結婚2年目の新妻。多忙な夫にかまってもらえず、ホテルでの退屈な日々を過ごしている。

ジョン(ジョヴァンニ・リビシ)

カメラマンでありシャーロットの夫。家庭より仕事タイプな男。

ケリー・ストロング(アンナ・ファリス)

新作ハリウッド映画「ミッドナイト・ベロシティ」の記者会見のためパークハイアット東京に訪れる。ジョンの友人であり、ホテル内で意気投合する姿を見せる。

マシュー南(藤井隆)

劇中、ボブ・ハリスがゲストとして出演したTV番組「Matthew’s Best Hit TV」の司会者。同番組は実際に当時地上波で放送されていた。

チャーリー(駒谷昌男)

シャーロットの友人として登場する日本人男性。シャーロットとボブを夜の東京に連れ出し様々な遊びを提供してくれる。

CNディレクター(ダイアモンド✡ユカイ)

ボブの出演するサントリー・ウイスキーのCMの監督を務める男性。
芸術肌の如何にもな人物として描かれ、往年のハリウッドスターであるボブに対しても、納得の行かない演技に声を荒げる。しかし、その直後に通訳の女性によってその情熱は短縮された形でボブに伝えられる事となる。

3.映画の中の日本

本作は日本が舞台だが、決して日本贔屓(ひいき)の映画ではなく、むしろ滑稽な姿としての日本が描かれてる。

その証拠に、日本人の英語の発音が下手過ぎて伝わらなかったり、TV番組がつまらなく映されてたり、過剰すぎるおもてなしだったりと、とにかく異国としての日本という印象が強い。

しかし、そこにはリアルな日本が描かれてる。

「海外の人から見たらそう見える」を撮った感じである。

正直、日本の良いところはあまり撮られてないように感じたのも事実だ。

ボブとシャーロットが東京の大きな病院を訪れるシーンがあるが、受付はもちろん、医者に至っても英語を理解できず、大きな声でゆっくりと日本語を繰り返して説明をするという始末。流石にこの演出はやりすぎだろうと感じたが・・・。
医者なら世界共通語の英語は最低限操れて然るべきだと思う。

もちろん演出の一つとしてだろうが、日本人が海外の病院で日本語を理解してもらえないのは事実である。

また、ボブがホテルに到着した際、TV業界の人間らしき人たちが同じような背広に身を包んでペコペコとお辞儀をして出迎えるシーン。熱烈な歓迎のあと、大きな土産袋を渡されるボブであるが、移動やらなんやらで疲れ切っている彼のことなど気にもとめない、身勝手な「おもてなし」を描いた秀逸なシーンだ。

我々日本人からしたら良い事でも、それが他の国の人にとって良い事とは限らない。
しかしそれは、映画のテーマを引き出す為の演出。

別に日本でなくても良かったのである。

きっと異なる文化や考えに触れた者なら誰しもが体験することなのだろう。

なにせ「Lost in Translation」なのだから・・・。

4.タイトル「Lost in Translation」について

・Lost(ロスト)とは「失われた」「失った」を意味する、動詞 Loseの過去形
・Translation(トランスレーション)とは「翻訳」「変換」を意味する名詞

世界には言葉だけでなく、文化や習慣、男と女、立場や環境、年齢や経験、いろんな意味で
失われてしまう事柄が数え切れないほど存在する。

利便化される世の中で失われた人と人ととの関わり。すれ違いや本当の意味での意思疎通。
そんな曖昧な世界に生きる我々への警鐘とも取れるディープなタイトルである。

しかし、そこはソフィア・コッポラ監督。
そんなテーマでも淡く美しく描ききっている。さすが名匠コッポラの娘である。

ちなみに、ご存じの方も多いだろうが ソフィア・コッポラ監督は、かの「ゴッドファーザー シリーズ」を撮ったフランシス・フォード・コッポラの娘である。

5.ソフィア・コッポラと「言葉」ついて

本作は監督ソフィア・コッポラの実体験がベースになっていると言われている。
彼女のデビュー作である「ヴァージン・スーサイズ」の記者会見・プロモーションにて来日した際に宿泊したのが舞台ともなるパークハイアット東京である。

写真、ファッション、日本のカルチャーを学ぶため、「ヴァージン・スーサイズ」公開前に数年間東京で生活をした彼女が同じホテルを舞台に、主人公シャーロットと自身を比較しつつ「外人」ならではの孤独や疎外感を見事に「ロスト・イン・トランスレーション」に投影してみせたのである。

ルーマニア人の思想家であるエミール・シオランは「人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。」という言葉がある。

「人は自分の理解できる範囲でしか物事を判断できない」というような意味合いだ。

筆者自身も留学経験があり、多少の英語力だけを頼りに海外で生活をしたことがある。
文法や単語力があれば相手に自分の思いを伝えることは出来る。ボディランゲージや表情などのオプションを付け加えることでもより感情を強く表現することも可能だろう。

しかし、そこには国語動詞による意思疎通ではなく、どこか機械的に言葉という「音」を発しているだけという思いが残ってしまう。

ネイティブレベルまで昇華させればそんなことはないのかもしれないが、本作で描かれるようなノンネイティブ達にはそんな芸当はできないだろう。

そんな世界の中に突然放り込まれた彼らが拠り所にするのは、やはり同郷の同じ「言葉」を話す人間しかいないのだ。

劇中の彼らと同じような体験をしたソフィア・コッポラだからこそ描けた世界と言える。

6.感想

ボブ 男 妻子持ち 結婚25年目 中年の危機
シャーロット 女 子供なし 結婚2年目   新妻

まず普通に暮らしてたら会わないし合わない二人。
だが、舞台が異国となれば同じ国の出という共通点だけで親しくなる。

この映画は何か事件が起こり、ハラハラするわけでもなければ、濃厚なラブシーンがあるわけでもない。
ただただ当人たちの非日常が淡々と描かれるだけだ。

それだけなのに、こんなに胸が切なくなるのは何故だろうか。

最後に、ラストシーンで描かれた二人だけしか知らない「言葉」について。

ソフィア・コッポラ監督は台本に「寂しくなるよ」とボブに言わせるセリフを書いたというが、実際には劇中でそのセリフが言葉として観客に聞こえることはなく、静寂と街の喧騒だけが響き渡る演出で幕を閉じる。

当のビル・マーレイは絶対に誰にも言わないとインタビューで答えている。

この粋な演出を考察する楽しみを残し、時代感も含めまた見直したい隠れた名作の一つだ。