「ファイト・クラブのルール、その1:ファイト・クラブのことは他言するな」

1999年、高速に進化を続ける資本主義の中枢を担う消費社会への強烈なアンチテーゼと、激しい男性性を纏った問題作が放たれた。

本稿はデヴィッド・フィンチャー監督作の代表作と名高くも、難解なテーマや演出で今なお高い人気を誇る映画『ファイト・クラブ』を紐解いていく。

『ファイト・クラブ』のあらすじ(ネタバレ)

車事故の保険会社に務める不眠症の「僕」は、眠れない夜が続く中、家具カタログを片手に電話通販で大金を払い、虚空な心と空間を埋めるためハイ・ブランドのスーツに身を包み日々をやり過ごしている。

ある日、医者の助言から癌や白血病を患う患者たちのセラピーに参加する事となる。

「あそこにあるのが本当の苦痛さ」

医師の言葉の通り、死を間近に控えた人々の姿を見据え、感情移入し号泣することで「僕」は久しぶりに深い眠りにつくことが出来た。

それが癖となり様々なセラピーに顔を出すようになった「僕」は、場所によって名前を変え安眠の日々を手に入れる。
しかし、行く先々のセラピーで見かける女、マーラ・シンガーの登場により「僕」の安眠は妨げられてしまう。

彼女もまた「僕」とは違った目的でセラピーを渡り歩く社会の爪弾き者なのだ。

眠れない日々に逆戻りした「僕」はある時、出張先に赴く途中、飛行機の中で自由奔放に生きるタイラー・ダーデンという男に出会う。はだけたシャツに派手なジャケットとサングラス。「僕」とはまるで正反対なタイプだ。

石鹸の製造販売を行うという彼の名刺を手に帰った我が家は、ガスコンロの不始末が原因で爆発しており「僕」は失意のどん底に突き落とされる。

唯一、手にしていた名刺を頼りにタイラーに電話をかける「僕」

近くのバーでグラスを交わし、店を出るタイラーが「僕」にこう言った。

「力いっぱい、俺を殴れ」

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ブラピも活躍!主なキャスト

ナレーター(僕):エドワード・ノートン
代表作:『アメリカン・ヒストリーX』『真実の行方』

タイラー・ダーデン:ブラット・ピット
代表作:『セブン』『オーシャンズ11』

マーラ・シンガー:ヘレナ・ボナム=カーター
代表作:『レ・ミゼラブル』『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』

ロバート・ポールセン:ミート・ローフ
代表作:『マイ・フレンド・メモリー』『ロッキー・ホラー・ショー』

エンジェル・フェイス:ジャレット・レト
代表作:『アメリカン・サイコ』『レクイエム・フォー・ドリーム』

ネタバレ解説(1)ビジュアルの裏に潜む本質:「消費主義」と「成長物語」

※この先の記述にはネタバレが含まれます。

本作を見終わった観客は、その圧倒的な暴力性とスピード感、ダークな映像とクールな音楽の虜になってしまうだろう。
しかし『ファイト・クラブ』の本質として描かれているのは、見出しにもある通り「消費社会」と「成長物語」であると考える。

まず、主人公である「僕」は不眠症になってしまう程にセンシティブな男であり、寂しい心を満たすために物を買い、所有することで心の充足を得ている。
そんな彼の「弱い心」が生み出した人格であるタイラーは、酷く暴力的なキャラクターで破壊の象徴として描かれている。

タイラーがバーで「僕」に説教を垂れるシーンでは、ストレートなまでに現代の物質・消費主義社会を否定している。そして彼らが企てるメイヘム計画の最終的なゴールは、資本主義経済を象徴するビジネスビル街の爆破である。

無人となった夜のクレジットカード会社を大量の爆弾で物理的に破壊することで、人々に精神的な自由を与えるという目的を掲げていた。

もはや偶像とかした「物質」自身の物理的破壊という清々しいまでにハッキリと分かりやすいテーマである。

さて、もう一つのテーマである「成長物語」について。

主人公は気が弱く過敏な性格の持ち主であり、自分の本音を隠すどころか、心の奥底深くにしまい込んでしまい自分でも忘れてしまっているような男だ。

定期的に検診を受ける精神科医にも「不眠症では死なないよ」などと半ば邪険に扱われるいる節すらある。また検診では、目が覚めると別の場所に居ることがある、とも申告している
ことから夢遊病のきらいがある。

そんな彼の精神が作り出したタイラー・ダーデンという別人格。気の弱い「僕」とは正反対であり天真爛漫、明朗快活なマッチョイズムを絵に描いたような男だ。

暴力を好むタイラーに影響(同化)していくことで次第に暴力的に、粗暴になっていく「僕」であるが、世間一般的にそのような人間は忌み嫌われる対象であり、決して大人ではない。

映画を見ていると「僕」が悪でありタイラーが善であるかののような錯覚に陥るが、これはある種のミスリードであると考えており、正確にはどちらも善には値しないのである。
本当の善が垣間見えるのは物語のラスト。崩壊するビルの谷間を望む「僕」とマーラの姿に現れる。

「出会いにタイミングが悪かった」「これからは全て良くなる」とささやく彼の姿はまるで成熟した真摯な男の姿であり、騒然とした景色が広がる世界で余裕すら見える。

以上の理由から本作を、自分を「殺した」(モラトリアム期間からの脱却を果たした)一人の男が、一人の女と添い遂げるまでを描いた精神的な「成長物語」であると捉えることは出来ないだろうか?

ネタバレ解説(2)サブリミナル

上記見出しで触れた通り、その深いテーマ性によって人気を博している本作であるが、見た目的な面白さも他の映画とは一味違うのが「ファイト・クラブ」の魅力の一つである。

『サブリミナル:サブリミナル効果とは意識と潜在意識の境界領域より下に刺激を与えることで表れるとされている効果のことを言い、視覚、聴覚、触覚の3つのサブリミナルがあるとされる。』
(引用:ウィキペディアより参照

映画冒頭のシークエンスにて、タイラーが自身の仕事を語るシーン。
映画の上映係の仕事をこなすタイラーだが、退屈な仕事の息抜きとしてファミリー映画の一コマにコンマ1秒にも満たない短い間にポルノ映画のコマを挿入するというイタズラを披露してみせる。

これこそがサブリミナルであり、人間の無意識化に視覚や聴覚に訴えかけるイメージやメッセージを刷り込むのである。

そして本作『ファイト・クラブ』にもサブリミナルが多用されている。

例えば、「僕」が医師の検診を受けるシーンにてほんの一瞬だけタイラーの姿が映し出される。他にもタイラーの姿は効果的な演出として時折映像の済に映し出されるのだ。

こうしたテクニックを用いて、我々観客を飽きさせないことはもちろんのこと、タイラーという暴力性や二重性を孕んだ危険な因子を刷り込まれながら映画の世界に引きずり込まれるのである。
こういった手法や伏線回収の旨さはデヴィッド・フィンチャー監督の十八番であり、彼の撮る映画には必ず何らかの仕掛けが施されているのが通例となってきている。

ネタバレ解説(3)ラストシーンの謎

物語のラストは賛否両論であり、本作の話題になると決まって論議の中心になる。

それは、自分の分身であり精神世界にしか存在しないタイラーを抹消するため、自分の頭を銃で吹き飛ばし自分自身に打ち勝つというものだ。

普通、拳銃を口に突っ込みトリガーを絞れば一溜まりもないが、弱ってこそいるもののその後普通に喋り立ち上がる姿さえ見せる「僕」に違和感を覚えた観客も少なくないはずだ。

筆者的には、あれは弾丸が脳などの生命活動を司る器官を外れ、事なきを得たというリアリスティックな考え方をしているのだが、中にはトリガーを引いた瞬間からは死後の世界であり「僕」が見た走馬灯のような世界であるという解釈も存在するようである。

よく映画の話になると「宿題を残す映画」は名作であると云われることが多いが、本作も例にもれず我々観客の頭の中をかき乱すような劇薬的作品であることは間違いないだろう。