こんちにはKimikoです。

今日は大人気映画「マトリックス」をこよなく愛するライターさん10人に、映画の解説を書いてもらったよ!

それではどうぞ!

映画マトリックスの考察10選

キアヌがとにかくカッコイイ作品。日本のアニメカルチャーとの融合

日本のアニメ「攻殻機動隊」や「AKIRA」など、日本のアニメに影響を受けたウッシャウスキー兄弟の作品ということを聞き、興味を持って映画を見ました。
まず、CGを駆使した映像にびっくりさせられました。主人公のキアヌ・リーブスは、天才ハッカー、ネオとして登場します。キアヌは、この役どころでかなりのダイエットを行ったそうで、スリムで超格好いいです。

また、洋服が格好いいのですが、黒を基調とした、レザー仕様でのコートやパンツなどが、ネオとネオの味方一味が揃えているところに近未来的なイメージを持たせられるところもビジュアル的に凄くカッコ良いと思いました。

ストーリーはというと、ネオの前にトリニティと名乗る謎の美女が現れ、彼女に同行した、謎の男モーフィアスと出会います。そこでネオは「この世界はコンピュータによって作り出された仮想の世界である」と衝撃的な事実を告げらます。
ネオはモーフィアスからこのまま仮想世界で生きるか、現実世界で目覚めるかの選択を迫られます。ネオは現実世界で目覚める事を選びます。

現実で目を覚ますとそこは船の中でモーフィアスが船の船長を務めていました。現実の世界は、地球滅亡の危機にさられていました。この危機を救う救世主がネオなのです。

ネオは、仮想世界で格闘スキルを学びます。イナバウワーの様な映像は、有名ですが、銃弾を避けらるような俊敏な動きを学びます。実戦の中で、ネオは、一度、死亡しますが、蘇り、そこで覚醒し、地球の救世主となります。

ネオとスミスとコンピューターの対比と考察

マトリックスは、私たちにとって身近な「コンピューター」の中の出来事とイメージできるのではないでしょうか。
作中で機械によって管理されている人類は、機械によって作られたコンピューターの中の仮想世界(マトリックス)に住んでいます。
これは、作中でマトリックスのに人類以外にプログラムそのもの(姿形は人間と一緒)が登場することからも明らかです。

映画に登場するネオは、はじめは他の人類と同じく、マトリックスに住む住人でしたが、謎の男モーフィアスによって「現実」を知ることとなり、現実に目覚めたネオは、人類にとっての救世主としてマトリックスにアクセスすることになるのです。

 ネオ達がマトリックスに侵入している時、コンピューター(マトリックス)側は、エージェントと呼ばれる超人的な能力を持った黒風の三人組に追われるのですが、このエージェントもマトリックス世界の「セキュリティプログラム」と見ることができます。
また、作中にエージェントの一人であるスミスがネオと接触することによって、自身がコンピューターウイルスになってしまい、守る側のエージェントがマトリックスの脅威となるといった「バグ」の発生もあり、コンピューターとの関連をうかがわせます。

これらのように、ネオ(ウイルス)とエージェント・スミス(セキュリティ)とマトリックス(コンピューター)という対比を通してマトリックスを観ることで、違った見方や、違った面白さがあるのではないっでしょうか。

マトリックスに隠された9つのメッセージはコンピューターウィルス

マトリックスを観て、私が直感的に思ったことは、マトリックスの映画の中でデジャヴュといって、同じシーンが何度も繰り返されている現象です。
このマトリックスでのデジャビュ現象は、実はコンピューターウィルスが引き起こすトラブルと似ていると感じました。
このデジャビュ現象が起きた時に、必ずネオ達の邪魔をするエージェント・スミスが現れます。

マトリックスでは、天才コンピューター・プログラマーが、ネオ達が次のステージへと進んでいけるように、エージェント・スミス達よりも高いレベルで戦えるようにハイスピードでプログラムを更新しています。

そう考えると、ネオ達が生存している世界は、コンピューターのフローチャートのような人生回路になっていて、絶望的な世界から未来へと進んでいくためには、マトリックスの9つの謎を解くためのアクセス・コードを活用して突き進んでいくことが試練となっているようです。

絶望的な現実から、脱出するためには、9つの試練の場で戦い抜いていく必要があります。
現代社会でも、私達のパソコンやスマホは、世界各地からの様々なコンピューターウィルスによって侵入され、生活の邪魔をされています。

マトリックスの9つの謎を解くことは、邪魔をしている要因であるエージェント・スミスとバトルして勝つことが目標なので、現代社会でも漸進するためには、私達のクラウド内で邪魔をしているコンピューターウィルスを除去していくことと似ています。
そう考えると、マトリックスは、これからの人類が形成するインターネット世代での予兆を示していると考えられます。

インターネットによって、世界が支配される現代社会では、マトリックスの暗号を紐解くのと同じように、見えない場所に潜んでいるコンピューターウィルスと戦っていくことが大事なのだと、映画を観て痛感しました。

「マトリックス」が伝えていたメッセージを考察

「マトリックス」はSF映画として大きな成功をしたと思います。その結果として様々な考察が生まれていきました。私はこの映画を見て人生に大きな影響を与えると思いました。
「マトリックス」の内容は複雑で現代にも通じるものがあります。例えば仮想現実という設定が非常に面白かったです。私はこの仮想現実が身近なゲームのようなものだと思いました。そしてキャラクターたちが仮想現実に飲み込まれていくさまが面白かったです。

また映画には様々なメッセージを込めていると感じました。重要なメッセージが自分たちが何かを選択するということです。実際に映画のキャラクターたちも様々な選択をして結末を迎えます。
主人公のネオも重大な選択をして恋人や仲間たちと生きていきます。しかし疑問に感じたのは「マトリックス」の世界の何が本物なのかという部分です。前述した通り仮想現実という設定で物語が進みます。更に機械と人間の戦争も起こり混沌とした世界になります。

私が驚いたのが現実だと思っていた世界のウソです。つまりキャラクターたちが見ていた世界が現実ではなかったということです。それによって私は今の世界の在り方を考え直しました。
この「マトリックス」が私に与えたものは全てを疑えという考えです。

この世界は本当に現実か?映画を見終わって思う『マトリックス』

映画『マトリックス』は、マトリックスと呼ばれる仮想空間と、現実の世界を舞台にした物語です。
このように書くと、マトリックスと呼ばれる世界は、電脳的だったり、近未来的だったりするのだというイメージを持たれるかもしれません。

しかしマトリックスの世界は、我々が住むこの現実世界のことを指します。そもそも私たちが認識している、この現実世界は、マトリックスと呼ばれる仮想空間だという設定になっています。
そして映画の中で「現実世界」と呼ばれる場所は、荒廃し地上に住めなくなった地球を指します。ほとんどの人類は絶滅し、生き残った人々は地下に住まいを移して、脅威に対しておびえながら暮らしています。

脅威とは、この時代を支配しているAIのことです。AIは人類を見つけると捕まえて、一か所に集め、その世界の電力を補うための、『電池』として使っています。
映画を見ていて、現実世界が実は仮想空間だと知った時、自分たちの住む世界も、もしかしたら仮想空間なのかもしれないと思います。

このパラドックス転換が、この映画を見る醍醐味と言えるでしょう。映画を観終わった後、現実に見える風景、食べ物、好きな異性が、実はすべてAIがプログラムしたものだとしたら……そんな風に思えるのが、この映画の魅力です。

マトリックスが観客に問いかけているものとは?

マトリックスを見た人は誰もが、現実だと思っていた世界がすべて仮想現実の世界だったという状況設定に度肝を抜かれたことでしょう。
主人公のネオですらその現実をすぐには飲み込めなかったのですから、そんなことはありえるのだろうかなどと考えてしまうと、なかなか物語の中に入り込めなくなってしまいます。

しかし、バーチャルな世界で生きているのだという現実を受け入れることができるか、それともできないのかと問いかけを、実はこの映画は観客に対しても問いかけているのかもしれません。

もちろん、マトリックスのように実際の肉体は小さなカプセルの中に閉じ込めら、意識だけが仮想現実の中で生きているというのはあまりにも突飛ですが、しかしインターネットが日々普及し広がっていく中で、自分のアバターを生み出して、様々なバーチャルな世界を楽しむ人たちは大勢います。

そして、現実の世界と仮想現実の世界の境目が曖昧になってきていると感じることも少なくありません。人によっては現実の世界から逃げて、仮想現実の世界に閉じこもっています。つまり、マトリックスで描かれた世界は決して非現実的なSF映画なのではなく、すでに始まっている現実的な映画なのです。

そう考えると、改めて自分は仮想現実の世界で生きたいのか、それとも現実世界のみで生きたいのか、映画を通して問われている気がするのです。

興味津々のバーチャルリアリティー!果たして真相は

この作品の主人公であるトーマス・アンダーソンは腕利きのプログラマーです。
勤務する会社でも将来性や成長性を期待される人物です。勤務先では真面目で好印象を周囲に与える存在ですが、実はハッカーという、とんでもない別の一面も持っているのです。

このような、トーマス・アンダーソンの存在は現代社会に対しての警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。この作品の作者は、物事を安易に考えることなく本質を見抜くことの重要性を問いかけているのかもしれません。

トーマスに届いた「白いウサギについていけ」という主旨の内容のメールには何とも謎めいた印象を持ちました。そして、仮想現実の世界とリアル社会で生きるかのどちらかを選択することを迫られる場面は迫力満点だと思います。この仮想現実については、ネットワークサービスが台頭する現代社会とオーバーラップするといえるでしょう。

利便性や効率性、快適性などを求め続ける私たちのことを皮肉っていような感じがしてなりません。作品の中でトーマスは、現実社会で生きることを選択しますが、その時にもコンピューターの反乱という事態に直面することになります。
また、廃棄されそうになったトーマスを救う人がいるのも、価値観の多様性を如実に物語っています。

あらゆる可能性が詰まった作品であり、近未来を予測したかのような物語

緻密なCGと派手なアクション。そして、謎めいたキャラクター達と、その高度なストーリー性と技術から高い人気を得ました。
そして、この作品からは様々な可能性を感じることが出来るのです。
まずはその世界観です。まるで未来を予測するかのように仮想現実が舞台となり、あり得ないバトルが展開していきました。
そして、これには「現実と仮想の区別が出来るのか」ではないのかと思うのです。

あまりにもリアル過ぎる空想の世界。その世界でなら、ありとあらゆる願望を感じることが出来ます。
そして、やがては現実との区別がつかなくなるのではないかということを教えてくれているのではないかと思うのです。
そして、マトリックスのあの印象的なOPに出てくる緑色の膨大な文字。あの落ちてくる文字の数々は、現実世界の崩壊を意味しているのではないかと感じるのです。

そして、その崩れそうな世界を支えることが出来るのが、ネオではないのかと思うのです。
ネオは、ギリシア語では新しいということを表し、英語では「復活」を意味します。

崩壊しそうな現実世界を食い止めるというのが、ネオが選ばれた理由なのではないかと思うのです。
いつか、世界は仮想世界がメインとなる。だが、本当にそれで良いのかと問いかけられているような気分でした。

マトリクスは、近未来を予言しているかもしれない映画

ターミネーターの新作が発表されましたが、それよりもう少し後の近未来を描いたのはマトリックスではないでしょうか。

ターミネーターは、人間とターミネーターの争いを描いたものですがマトリクスとの大きな違いは、人類がコンピューターに
支配される手前の状態ですが、マトリクスは、人類がコンピューターにすでに支配されている世界を描いています。

最終的に、救世主ネオは戦いに敗れて、 エージェントも消滅しますが その戦いを意味するものははっきりと描かれていません。
この戦いを一つ考察するとすれば、ネオが強くなればエージェントもそれに従って強くなり、ネオがいなくなればエージェントもなくなる。それは善と悪がどの世界にも存在して常にそのバランスを保っているからこそ世界が成り立っているのだと思います。

残された人類は、これからどうなるのか描かれていませんがコンピューターからの支配を抜け出すことは難しいかもしれません。

マトリックスのような世界はずっと先の話とそうかもしれませんがしかし現段階ですでにコンピューターに支配されているのではないかと思います。街に出ると、常にスマホを見ながら過ごしている人がとても多いです。スマホを特に見なくても生活ができます。

しかしスマホと言うコンピューターで人類がすでに操られ始めているのだと思います。

また多くの情報量で人類の感情を麻痺させてコンピューターの思うようままに操られている場面が多く存在します。
既にコンピューターの支配は始まってるのかもしれません。

今なら思うマトリックスの素晴らしい世界観について考えてみました。

マトリックスの世界観は素晴らしものだと、大人になった今なら感じます。仮想世界にて繰り広げられる現実世界ではありえないような、重力を無視した戦闘シーンに当時は釘付けになっていました。

今でも印象に残っているシーンは仮想世界崩壊を目論むスミスがついにその、計画を最終フェイズに移行し、ほとんどの仮想世界の人間を乗っ取り、因縁の主人公であるネオと最終決戦を繰り広げたシーンです。
ネオは現実世界でも機械生命体との闘いを繰り広げていて、二つ同時の決戦に目が離せませんでした。ですがスミスの戦いのほうがキャラに愛着がわいていたので好きでした。

今までの作品にも登場していたことから、なじみ深いという印象につながったのでしょう。周りを見渡すと、そこにはスミスしかいないというくらいの圧倒的数の差に、当時はすさまじい絶望感を抱きました。そこでなぜスミスがネオをここまで押せたのかという点を考えていきます。

スミスとは根本的にはネオを倒すためのプログラムです。これによりネオが強くなるにつれて同様に強くなります。これに加えて今回のスミスはプログラムが暴走していました。これによる勢いによりネオが押し負けたのだと私は考察します。