こんにちは!
編集Kimikoです。

今回はジブリ好きのライター達に映画「もののけ姫」について考察してもらいました。
それではどうぞ!

「もののけ姫」の考察10人分まとめ

自然界を破壊し、温暖化させたのは人間です。

スタジオジブリで一番メッセージ性のある映画はもののけ姫です。
人間は食物連鎖の頂点に立ちました。結果自然環境を破壊してきたのは我々です。もののけ姫の中では、人間と森の神々との争い、自然破壊が一番の論点だと私は考えます。

作中で宮崎駿監督が一番強く訴えているのは、人間の愚かさと自然災害にはかなわないという点です。この映画を放送した当時は、今の様な記録的猛暑や、季節外れの大型台風などはありませんでした。

そこで地球温暖化は果たして防げなかったのか、という疑問が起こります。
ひとりひとりが出来る事は何もなかったでしょうか。
例として、飼えなくなった熱帯魚を川に捨ててもばれないだろうという小さなことが、今の大きな自然災害、温暖化問題に繋がっているのです。

熱帯化した日本では、多くの外来種が育つようになりました。結果食物連鎖のバランスが壊れ、生態系が大きく変わりました。これも作中での人間の行いとリンクしています。

もののけ姫ではテーマは1つだけではなく、数他のメッセージが隠されています。それは人によって感じ方が変わるでしょう。ですが私はやはり諸悪の根源は人間であると考えます。

確かに地震に関してはあるていど予測はできても、南海トラフがきたとすればどうにもなりません。それはシシ神の様な避けられない存在です。

自分たちの小さな努力で回避できる災害と、どうやっても無理な事象はあります。今からでも遅くないですから、我々大人もこれからの若い世代もあきらめず、宮崎監督が訴えているように生きていってほしい、そう願います。

もののけ姫をみて正義とは何か感じさせられる

もののけ姫と言う映画は、何度か見ることでいろんな考えが出てくるように感じます。
初めて見たときには、アシタカとサンが共に生きるにはどうしたらいいかや、自然と発展についてなど、様々な人間模様を見たように思います。
初めて見たときは、自然を汚す人間が悪いようなそんな気が強かったように思います。
しかし、よくよく考えると発展することで、恩恵を受ける人もいることもよくわかるというか、理解出来るとも思うようになりました。
この映画は、見る立場によってや、一度目に見たとき、2度目にみたときで、また感じ方や考え方が変わるという不思議な映画なのではと思うようになりました。
そのひとによってや、そのときの立場や、気持ちによって正義が違ってくるように思います。
始めはエボシが自然を壊しているようにも感じましたが、エボシにはエボシの守らなければいけないものがあったりと、その立場で正義が変わると感じました。
もちろん自然を壊さない事が大事だと思います。
しかし、必死で女性たちが働いている姿や、病気の人のことを考えると、どうなのだろうとすごくいろんなことを考えさせられる映画でした。
自然を守ることも正義だと思うし、みんなの生活を守ることも正義だと思う。
そういう普段きちんと考えていなかったことを、考えさせらたように思います。

なぜどんなことがあっても生きなくてはいけないのか

今の時代、物や情報が溢れかえっており己で取捨選択することがとても難しく感じます。なぜ生きなくてはならないのか、そんなことを考えてしまう時間も少なくない、そんな世の中になってしまっていると。
そのような想いを抱いてしまった時に私はもののけ姫を観ます。
決してハッピーエンドではなく色んな事を考えさせる内容のこの映画が、私の指標になりつつあります。
なぜあんなに過酷な状況で生きたい、生きろと思うのか、人間が生まれて生きてきた意味を漠然と考えてみたりします。答えは全く出ません。でもそれでいいんだと思います。
少しでも考えることに意味があり、自分が生きていく意義に向き合うきっかけになっているんだと思っています。生命に始まりや終わりがあること、命を司るシシ神でさえ”死”というものがある、それを悲しいと思うのか当たり前と思うのか人によって様々でしょう。ただ、様々な想いがあり様々な考えがあるからこそ、この今という瞬間があるんだろうなと考えたりもします。
あんなに登場人物がそれぞれに生き、それぞれに想いを吐露している、そんなことから自分も肯定される気がするんです。どんな想いを持っていてもいいのだと、何が悪で何が善など立場が違えば反転してしまう脆いものなんだと教えてもらっていると感じています。
私は単純なのか、そんな朧げな考えでも”まあ、まだ生きてみよう”と思わせてくれます。なので、毎回感じることや考えることが違うこの映画をこれからも観続けるでしょう。

結局「もののけ姫」は誰に観てもらいたかったのか

私が「もののけ姫」観て感じたことは争いにはどちら側にも正義があるということです。
もののけたちにはもののけたちの正義があり森としし神を守る大儀があります。
タタラ場で生きる人間にも正義があり自分たちの生活や自由を守る大儀があります。
もちろん石火矢衆はお上の命令、侍には忠義などそれぞれにそれぞれの正義があるのです。
それが良いか悪いかは時代によって変わり、何が正しいかなんて事は誰にも分からないのです。
それが感じ取れるシーンは作品内にちらほらありましたが私が最も好きなシーンがアシタカがヤックルに乗り侍達の頭上を飛び越えさらに侍達の放つ矢をかわすシーンで侍が言った「やるのー」の一言です。
なぜこのシーンが好きなのかというと、登場人物の大半が労働階級であり、ひとりひとりは邪悪な存在ではないと分かるシーンだからです。
もののけ姫という作品は全体的に殺戮シーンなど多く子供には重たい映画のように映ると思いますが、人間の本質というのか根本といのか「自分がその立場に立たされたらそうするでしょ。」というメッセージが込められているように感じます。主人公のアシタカもサンも結果何も解決しないままラストを迎えたような状態でした。
私はこの作品は子供たちこそ観るべきだと思います。
というのも実社会ではみんなが足並みそろえて「これで幸せ」って事はないです。
必ず誰かと競い、立場によっては人を傷つけなければならない事もあります。
現実は非常に残酷ですが見方を変えるとどの立ち位置でも情熱を燃やせる正義が必ずあると言えます。
私は子供たちにこの「もののけ姫」という作品から学んでいただきたいです。

「もののけ姫」、描かれている差別をどう見るか。

「もののけ姫」は「となりのトトロ」や「崖の上のポニョ」と同じ感覚で、幼児に見せることができない作品です。これからこの作品を子供に見せたいと思う方は、中学生くらいになってから日本の歴史を少し理解してからの方がより深い理解ができることでしょう。
というのも、「もののけ姫」には歴史的に差別を受けてきた人が多く登場します。よく言われるハンセン病患者だけではありません。主人公アシタカはエミシの出身、即ち、アイヌの少年であり、ヒロインのサンはその昔は普通に行われていた捨子で、身のこなしや生活スタイルが山谷を思わせます。他にも、たたら場で働く女性たちは元遊女とみられ、柿色の衣は非民の象徴です。このようにみると、人間と自然、どのように共生・共存すべか、できるかというジブリ作品でよく取り上げられるテーマだけが描かれているわけでないことが分かります。
差別の問題は、日本史上にだけでなく、世界史上にも見られます。社会の安定を保つために、社会的弱者は必要な存在だとされています。今でも完全に解決に至っていない問題でもあるため、直視したくないという人もいることでしょう。その点において、「もののけ姫」は娯楽作品とは言えず、見る人を選びます。それでもなおかつ、多くの人に見て欲しい作品であることに違いありません。

経済発展と自然環境との共存をテーマにした物語

この作品は、自然と人間との共存をテーマにした物語だと思います。文化や経済の発展のために自然を破壊していくエボシたちと自然や動物たちを守ろうとするサンやアシタカたちの攻防の物語です。この両者の考え方にどちらが正しいとか間違っているとか、大人になってしっかり考えてみると、どちらとも言えないというのが、この作品の考えさせられ、何度も見られる魅力なのではないかと思います。子供の頃は単純に主人公であるアシタカやサンに感情を移入して見ていたので、エボシたちの自然を破壊する行為やシシ神の頭を奪う行為などに悪の感情を抱いていたのですが、なんとなく他のアニメにはない違和感は感じていました。だんだん成長しながら何度も作品を見ていくとエボシたちのしている行動が私たち人間の、いわゆる経済活動でありまた、弱者たちを救おうとしている行動なのだということがわかってきました。エボシや村の人達も自分たちが生きていくために必死に生きて行動をしていて、サン達も自然を守る為に森の生き物達の為に必死に行動していてそのどちらにも共感する部分がありそれを橋渡ししようと懸命に行動するアシタカに心を惹かれる作品です。そんなアシタカが自然の神のタタリ神の呪いを受けてしまいながら、一生懸命両者の均衡を保つ為に奮闘する物語です。

隠されたメッセージにも注目!現代社会への警告

とても面白くて興味深い作品であると同時に、現代社会に対するメッセージ性も強い作品だと思います。作品の中には、個性的なキャラクターの持ち主が複数登場しますが、特にジコ坊やエボシといった人物の方が、欲望を露にしていることなどから、人間に近いという印象を受けました。もちろん、アシタカやサンも重要な役割を担っていますが、なんとなくリアリティーには欠けると思います。
人間と自然との関わり方についても、改めて考えさせられたという人も多いのではないでしょうか。「自然を大切にしなくてはいけない」といった単純なものではなく、神秘的な描写も取り入れることで、自然との共生の大切さや尊さをより一層深く考えるきっかけになります。
サンやアシタカには超能力を感じさせる描写もあり、それが現実とはかけ離れた印象を醸し出しています。その事からも未来へのメッセージとしてとらえることができるでしょう。
宮崎監督が作品を通して伝えたかったのは、「とにかく生きる」ということだったのかもしれません。それは主人公であるサンとアシタカを見ることで良くわかります。ジコ坊やエボシなどによる策略にも決して負けることなく立ち向かう姿が見る人の胸を打ちます。

サンが山犬に育てられ、もののけ姫となった訳は?

もののけ姫の中で、モロが言った言葉があります。「森を侵した人間が、我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ」という言葉です。この言葉からも分かるように、サンは村人たちによって、生贄として差し出されたのでした。ここには、とても根深い闇が埋まっているのではないかと思うのです。

生贄を差し出すという行為は、日本の古くからの伝説でもよく聞く話です。何かを犠牲にする事で、自らを守るという行為。ここにとても深く人間の残酷さが浮かんでいるのではないかと思います。サンは生贄として差し出されながらも、山犬に育てられ、もののけ姫と呼ばれるようになりました。美しい女性に成長していたのです。

では、どうしてモロは、人間のサンを自分の子として育てたのでしょう。他の山犬と変わりなく、1人の我が子としてサンを庇い、愛情を注ぐ。そこには、人間の残虐性とは対照的な、深い愛を見て取ることができます。命を簡単に差し出してしまう人間と、その憎むべき人間の子を我が子のように育てた山犬。その相反した両者から生まれたのがサンであり、そしてもののけ姫なのです。こうして救われた命だからこそ、アシタカの言葉通り、美しい女性に成長したのではないでしょうか。

もののけ姫から考える人間のこれからの行動

サン(もののけ姫)は自然を荒した人間を憎んでいます。それでも人間は自分たちのことしか考えず、自然を荒し続けます。
その結果、どうなったでしょうか。
現在の地球は温暖化が問題になっており、台風やゲリラ豪雨などとの関連が指摘されています。そして、温暖化の影響で動植物が北の地域に進出し、生態系への影響や感染症のまん延も心配されています。
さらに、野生のクマが人里に出没することも問題になっています。
これは人間たちが自然を荒し続けた結果です。自分たちさえよければいい、地球は人間だけのもの、このような考えで自然を壊して開発を続けた結果なのです。野生動物のことも、人間が自然を破壊して棲みかやエサが少なくなってしまった結果です。それなのに、まだまだ開発を続け、人里に出没した野生動物を射殺してしまいます。自分たちの行動が招いた結果なのに何とも身勝手な行動です。
もののけ姫は、いかに人間が自分勝手な存在か、どれだけ自然を破壊してきたのかを伝えているように思います。この先も自然を破壊し続ければどうなるのか、人間はこれからどういった行動をとらなければならないのか考えさせられる映画です。人間が行動を変えることが求められています。

呪いが主人公の運命を大きく動かす。もののけ姫に見る人生の転機

ジブリ作品でも未だに高い人気を誇る映画「もののけ姫」。地上波でも繰り返し放送され、高い視聴率を叩きだし、日本国外での認知度も高まっている作品です。私もマニアとまでは行きませんが、ほとんどのメジャー映画作品は欠かさず観ており、地上波で放送されると知っているストーリーでも何となく繰り返しみてしまいます。

その中で「もののけ姫」は観るたびに新たな視点で楽しめる要素を含んでおり、私のお気に入りの作品のひとつです。表向きは「勇気と優しさを併せ持つ主人公の物語」「獣に育てられた姫の戦い」「人間の欲望と自然破壊へのアンチテーゼ」というのが全面に出ているように感じましたが、繰り返し見ているうちに、主人公アシタカに冒頭でかけられる呪いの要素に魅入られるようになってきました。

ある日、村を襲った祟り神を討伐したことで、アシタカの腕に命を蝕む呪いのアザがついてしまい、物語が動き出します。村での平穏な日々は一転。呪いを解くための旅に出たアシタカは、さらに大きな物語の渦に巻き込まれていくというお話です。私はこの「呪い」が大なり小なり、自分の日常生活にも潜んでいる気がします。人助けのためにしたお節介が想いもよらぬ不幸をもたらすかもしれないし、何気なく発した一言が人生を大きく狂わすかもしれない、といったことを連想させます。それは日常生活において、私に慎重さや思慮深さを与えてくれるキッカケになっていると思います。