こんにちはKimikoです!

今日は大ヒット映画『ジョーカー』(主演:ホアキン・フェニックス)が大好きなライターさん10人に、それぞれネタバレ&評価を書いてもらったよ!

バットマンとの繋がりや、ホアキンの演技の見所など・・・。

それでは以下にご紹介しますのでどうぞ!

映画ジョーカーのネタバレ&評価!ライターさん10人分をご紹介。バットマンに繋がる、ホアキンの名演技

映画ジョーカーのネタバレ&評価①:少しずつ確実に、ホアキン演じるアーサーが殺人鬼になっていくということ

映画「JOKER」の中で描かれている物語の主人公は、これまでのDC作品に登場するジョーカーとは全く異なる存在として描かれています。例えば「ダークナイト」に登場するジョーカーの姿が記憶に新しいですが、この映画の中でも、ジョーカーは人を殺すことに快楽を見出す、猟奇的な殺人犯として登場します。

一方で、本作「JOKER」で最初に登場するのはアーサーというコメディアンを目指す青年です。彼がゆっくりとジョーカーに変化していく姿を追いかける形で物語が展開していきます。この映画をまた改めて見たいと思うのですが、その理由の1つが、一体どこのポイントでアーサーがジョーカーになったのか、全くわからないことにあります。少しずつ、彼が大事にしてきたもの、信じていたものが踏みにじられ、社会とのつながりが絶たれてゆき、いくつかの出来事が積みかさなることで、殺人鬼になっていくのです。

ピエロの化粧をし、髪を緑色に染め、派手なスーツを着ることで、アーサーは別の人格であるジョーカーになりきることができたと考える人もいるでしょう。しかし、あるシーンをよく見るとそうではないようにも思えます。マレーが司会を務める番組に出演した際、生放送中にマレーを殺すシーンがありますが、銃殺した後にジョーカー自身が怯え、震えているように見えるのです。

つまりマレーを殺したのは、ジョーカーなのか、それとも仮面に隠れたアーサーなのか、容易に判断できないと言えます。映画の最後のほうには、ジョーカーがゴッサムシティの中で、暴徒たちの中心的存在となったことを象徴するようなシーンがあります。ここで個人が社会に及ぼした影響をそのシーンの中に見出すことができますが、社会が個人に対していかに影響を及ぼし得るかということも、この映画のテーマの1つだと思います。

外的要因によって、誰もが道を踏み間違えてしまうことがあること、そして何が正義であるか、悪であるかは主観によって決まるゆえ、思いがけない結末を迎える可能性があることを教えてくれたのがこの映画であったと感じました。

映画ジョーカーのネタバレ&評価②:バットマンに繋がる「JOKER」がすべてアーサー(ホアキン)の妄想でないとしたら

映画「JOKER」を見るにあたって、私はネット上のネタバレをすべて回避して何も知らない状態で見に行きました。
その後この映画がすべてアーサーの妄想であるという考察が挙げられていたのを見て、私は一部納得しつつも一方ですべては受け入れがたかったのです。
結論から言うと、「バットマンが誕生するまでのあらゆる過程のうちの一つ」だったのではないかと思っています。

一つに、バットマンという作品はアメコミや映画などである程度基本の「ルール」が決められている一方、詳細な部分で違いがあるのが当たり前だということ。
ブルースという青年が両親の死をきっかけにしてバットマンとなる、宿敵はジョーカー、ゴッサムを混乱に陥れようとするジョーカーを捕まえる…これがバットマン世界での「基本ルール」。
でもそれ以外の詳細については幅が広い部分があると感じています。
例えば本作では混乱の騒ぎから逃げようとしたブルースと両親が暴徒に出くわしてしまいます。

しかし別映画ではブルースが劇中のコウモリに不安を覚えて両親を説得して退出、その裏通りで強盗に出くわすのです。
つまり結末が同じでありながらその過程が違う。
この作品もバットマンが生まれる過程が異なるだけで、あの日ブルースの心に“コウモリ”が翳る一つの要因を遠回しに描いているのだと考えます。

また、アーサーの「妄想」も決してすべてが妄想ではないと思います。
装填できる数を超えて撃たれた拳銃、表示された時計がすべて同じ時間など事実としてはおかしい点があるものの全てを妄想としたくないのです。
人は嘘をつくときに100%の嘘をつくより、真実を混ぜ込んだ嘘をついた方が簡単でかつ信ぴょう性が高いように、アーサーの妄想の中にも実際に起こったこと(アーサーが起こしたこと)はまぎれていると考えます。
これも前項と同じく、結果が同じでも過程が違う…例えば母親ペニーの死が仮に本当でも、アーサーが殺したのは嘘…というような形です。

若くてお金があり周りに頼れる人も多い、未来に希望があるブルースやトーマス。
対して若くなくお金もなく福祉や仕事先からも見捨てられ、ただ病んでいくアーサー。
この対比が映画を見終わった後の一種の「辛さ」として胸に残りました。
今の日本であれば「自己責任」「努力不足」と切られてしまうのでしょうか?
誰でもジョーカーになりうる、だけはこの映画の感想として言いたくはないのですが、誰でもアーサーの状態に落ちうる可能性はあるのだろうなと思います。

映画ジョーカーのネタバレ&評価③:現代社会にもなお残る差別や偏見をホアキンが見せる!

とても内容の濃い作品だとつくづく思います。
作品を見終わったあとには、感慨深い作品だと思いましたいつの間にか、自分自身も1980年代にタイムスリップしたような感覚に陥るのも不思議なことではないでしょうか。作品の背景からは、なんとなく薄汚れた町並みや時代を感じることになります。「古き良き時代」といっても良いのではないでしょうか。

このストーリーを見て深く考えさせられたのが、まだまだはびこっている格差や差別です。ピエロのメイクや格好までして、必死になって働いているアーサーに対して、若い有色人種が嫌がらせやイジメをするシーンには本当にショックを感じます。作者はこのようなシーンを入れることで、社会に対しての強いメッセージを投げかけているのでしょう。

血だらけになって悔しがるアーサーの姿には哀愁さえ感じてしまいます。また、同僚から手渡された銃を使って結果的に黒人の少年を殺してしまうという場面もあります。この場面でも銃が持つ怖さや残忍さを感じることができるのではないでしょうか。当然ながら、人を傷つけることは許されることではありません。小さな子どもを笑わせようとがんばるアーサーに対しても、別の黒人女性が冷たく接するなど、何かと人種差別について考えさせられます。

映画ジョーカーのネタバレ&評価④:ホアキン演じる「ジョーカー」を生んだアメリカという国

この映画は、アメリカの国の歴史を知ってから見た方がいい映画だなと感じました。
アメリカは、日本とは違い銃社会で一般の人が護身用に銃を持っています。
その銃社会の犠牲者とも言えるのが、アーサーのような気がしてしまいました。

身を守るために、持っていた銃を落としてしまったことでアーサーは、仕事を解雇されてしまいます。
そんなどん底の時に彼は見知らぬ人に、暴力を振るわれてしまい持っていた拳銃で暴力を振るった男達を殺してしまいます。
そこから、アーサーの現実と妄想世界が入り混じり始めます。
そもそもアメリカには、拳銃社会の問題だけではなく人種差別問題があります。
この映画はアメリカに潜むいろいろな問題を、描いた作品になっています。
見終わった時にアメリカに潜む問題が、ジョーカーを生んでしまったんだと思いました。

そして彼が本当はいったい何を考えているのかを、見終わった後に自分の中で考えさせられます。
アーサーは病んでいましたが、彼はアメリカの闇の部分を教えてくれた映画だったように思います。
単なる映画ではなく、アメリカという国の問題をアーサーの目を通じて描いた超大作の映画がこの映画だったように思います。
アメコミ感覚で見始めましたが、終わった時にはスケールの大きさに酔っていました。

映画ジョーカーのネタバレ&評価⑤:バットマンの宿敵という、これまでのジョーカー像を壊す作品

バットマンの宿敵と言えば、ジョーカーが一番印象に残っていました。
ですが、この映画を見終わった後、彼に対する気持ちはこれまでとはガラリと変わっていました。
大げさかもしれませんが、まさに別世界のような感覚だったのです。
なぜ心優しいピエロだった彼が悪の道へと入り込んでしまったのかが、これほどまでに心に残るものになるとは思いませんでした。

アーサーは、どこで人生を狂わせてしまったのか。若者たちに暴行さえ受けなければ、彼の人生は地味でも平凡だったのかもしれません。
ソフィーへ対する想いも、ただ見つめるだけで終わったのかもしれません。
自らの出生を知らずに、年老いた母親と静かに暮らしていたかもしれません。
そして、悪の世界へと自ら進むこともなかったのです。
憧れのコメディアンに銃口を向けた瞬間。彼はもうアーサーとしての自分を終わらせたのでしょう。そこに立っていたのは、気弱で優しい青年ではなく、恐怖で人々を支配するジョーカーだったのです。

皮肉なことに、彼を受け入れてくれたのは悪しかなかったのです。
この映画は、人が悪に染まる原因は決して珍しいことではないことを物語っています。

誰の心にも些細なキッカケさえあれば、簡単に悪が花開いてしまうことをジョーカーという男の誕生で表現したのです。
彼が、バットマンの宿敵という枠には収まらないほど大きな存在になった瞬間でした。

映画ジョーカーのネタバレ&評価⑥:ホアキン主演の「ジョーカー」は今の世論を反映している

ジョーカーを映画館で視聴してみての感想はこの映画は今の日本、世界においても共感することができる人が多いことが作品のヒットという形に表れたのではないかと思います。
本作の主人公であるアーサーは一生懸命にコメディアンとして夢を叶えるために奮闘していましたが、周囲の風当たりは非常にきつくて精神的にどんどんと追い込まれていく様子を映画で見ていて、仕事でつらいことがあったときを思い出してしまいました。

この映画を見ているとアーサーの母の言葉であった「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を支えに頑張っているアーサーに対して冷たく当たってくるゴッサムシティの人達を見ていてどんどん憂鬱になってきます。そして非常に気分が悪くなっていく映画でした。

結局アーサーの心はある出来事が原因で破壊されてしまい最初の殺人を起こしてしまうのですが、狭いトイレで踊りだすアーサーを見て完全に壊れてしまったのだなと思うと悲しい反面、今まで冷たくしていた世界に対して報復ができたことにカタルシスを感じてしまいました。
アーサーが行ったことは決して許されないことなのかもしれませんが、こうなってしまっても仕方ないという気持ちもあり複雑です。

最後まで見終わってこの映画はただの娯楽作品ではなく、だれでも辛いことがこんなに起きてしまうとアーサーのようになってしまう。だからもっと世界を良くするべきなのだというメッセージがあるのではないでしょうか。

映画ジョーカーのネタバレ&評価⑦:妄想かそれとも現実か!気になる答えとホアキンの名演技に着目

思わず、アーサーに感情移入している自分がいました。その点がこの映画の見どころだと思います。この映画が社会に訴えようとしているのは、社会における不平等や差別なのではないかなあと思います。

映画を作った監督は、この作品に社会の矛盾や皮肉を込めてはいないといっているようですが、果たしてそうなんでしょうか。この映画は、とりわけ、現代の日本やアメリカ、ヨーロッパなどの先進国に対して警鐘を鳴らしているかという気持ちさえ芽生えてきます。

アーサーは確かに人を殺してしまうほどの悪い人であることは間違いありません。しかしながら、なぜか、憎むことができないのはなぜなのでしょうか。アーサーは現代社会における「弱い人」と重ねて見えます。真面目に必死になって生きようとするアーサーが、周囲から排除されていく様子が見事に描かれているといえるでしょう。結局アーサーの親は判然としないまま、映画は終わりを迎えます。

「アーサーの親ってどうなの?」という思いを掻き立てられた人も多いかもしれません。実は捨て子だったというのも、アーサーに対して特別な思いを抱いてしまう理由です。アーサーは病気のせいもありますが、妄想壁もあります。現実と妄想が絶妙に表現されており、よりこの映画にひきこまれます。

映画ジョーカーのネタバレ&評価⑧:バットマンに繋がる、善良な人が丁寧に壊れていく物語

私は、昔からバットマンが好きで、特にジョーカーが出てくる「ダークナイト」が好きでした。
今回も、ジョーカーが主人公とはいえ「ダークナイト」のように最後にはバットマンとジョーカーの戦いが描かれるものだと思い込んでいました。しかし、実際は全く違う写実的な世界が広がっていました。今作の主人公、アーサーはバットマンで描かれているような「悪」ではなく、ただの善良なゴッサムシティの市民です。

彼はこの映画を通して少しずつ丁寧に堕ちていきます。この映画は一人の人間がジョーカーという「悪」に染まっていく過程を描いた映画です。最初に書いたように、主人公のアーサーは善良な普通の人間です。たった一つこれがほかの人と違うところは、彼が突発的に笑い出し、自分の意志では止められなくなる病気を患っていることです。この病気のせいで彼は他人から気味悪がられ、嘲られ、迫害されていきます。

たった一つ、何かが違うだけで迫害されてしうまう。これは皆さんも小さいころに経験があるのではないでしょうか。人間は、ほんの少しの違いで簡単に人を迫害する醜い生き物だ。「悪人」とは、元から「悪」だった者がなるのではなく私たち一人一人の醜い心が、一人の人間を「悪」に落とすことで生まれるのだ。そんなメッセージをこの映画から強く感じました。

映画ジョーカーのネタバレ&評価⑨:映画「ジョーカー」が生み出した悪について考察

私は「ジョーカー」の映画を知って非常に驚きました。何故ならヒーローではなく悪役に焦点を当てた内容だったからです。これにはヒース・レジャーの成功も大きく関わっていると思いました。そして新たにジョーカーを演じたのがホアキン・フェニックスで嬉しかったです。

私は映画を見て妄想がどこまで本当なのかが分からなくなりました。従来の映画や小説では全て語り手の妄想だったという作品も多いです。例えば怪奇小説ではストーリーの中身が語り手の考えで、決してそれは本当ではないということがありました。

私は映画を見てそういう感覚になって震えました。つまりアーサー・フレックという人物はジョーカーではないという感想を持ちました。映画の中には妄想だと思われるシーンが多数出てきます。特に好きだった女性との関係を妄想だと知った時は驚きました。そこでラストパートの意味深なところと結びついていきました。

私はこのアーサー・フレックがバットマンの両親を殺した人物ではないと感じました。年齢の問題もあって疑問の残る映画だったと思います。しかしこのジョーカーが悪に目覚めていったことは本当だと思いました。

例え妄想でもアーサー・フレックが悪人になっていったことは事実で、そのために人間的には大きな犠牲を支払ったと感じます。それを見た人が何かの影響を受けることは必然的な結果です。

映画ジョーカーのネタバレ&評価⑩:バットマンを観ず、何も情報がないまっさらな状態で「ジョーカー」を観たら・・・

私は今回事前になんの情報を得ることなく「ジョーカー」を観ました。
DCコミックス『バットマン』と繋がりがあると言われても『バットマン』自体観たことがないから繋がっているのかも分かりません。

映画を見終わった後に「ジョーカー」が悪役として『バットマン』に登場していると知ったくらいです。
予習すべきと言われている作品、『ダークナイト』も勿論見たことがありませんでした。
そんな中で観たこの「ジョーカー」。

なんの情報も知識もない私が観た中で感じたことは、「全てがウソなのでは!?」ということです。
所々で主人公「アーサー」の笑い方が違っていたり、やけにある少年にポイントが絞られていたり、まっさらな状態で観ると不思議に思うことが多くありました。

その少年が後々何かに繋がるのではないかと思わせるような終末もあり、何か他の映画との繋がりを感じさせられる展開でした。
そしてラストの精神科での一連の騒動からは、「この話自体がジョーカーの妄想なのでは?」と感じました。
何故なら、アーサーの笑い方が違っていたり、髪の毛の色が黒くなっていたり、今までとは違う不自然な点が多くあったからです。

心優しいアーサーがあんな狂気じみた行動を起こすとも考えられませんでした。
つまり、この物語自体が「うそ」なのではないかと思ったのです。
『バットマン』や『ダークナイト』を観ていないので真相はより分かりかねますが、私は全てがアーサーの妄想なのではないかと感じました。