2018年2月に公開された吉田大八監督の映画「羊の木」。
原作コミックとは大きく設定を変更し、2時間のサスペンスにまとめた映画として大きな話題を呼びました。
メガホンをとった吉田大八監督をはじめ、実力派俳優をそろえたことでも有名になったこの映画ですがストーリーや世界観もかなり凝っており、深く掘り下げるとまた新たな発見があります。
今回の記事では「羊の木」の登場人物それぞれにスポットを当て、人物像を探るとともに舞台となった富山県魚深市・のろろ祭り・「羊の木」の名前の由来についても考察していきます。
 ※ネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。

1. 6人の受刑者たちを通したストーリー考察

1-1. 前科がバレてしまうのを恐れる床屋・福元宏喜

こんな人が何故殺人を…と思うほど、何かにおびえビクビクする福元。
のろろ祭りの日に禁酒をやぶってしまい、暴れまわって杉山の好奇心や宮越との接点を作ってしまいますが、あのシーンの効果で、ラストでだれがどう変化するかわからなくなった視聴者も多いのでは?
結果的に、床屋の店主がいなければ、福元も杉山や宮越と同じような末路をたどっていた可能性もあるのかなと個人的には思ってしまいました。
そう思うと、犯罪者への引き金は思っているよりも身近に転がっており自分の何気ない行動が引き金を引いてしまうことになるかもしれない…ということを伝えるためのキャラクターだったのかなと推測します。
いずれにしろ、今にも泣きだしそうな臆病な雰囲気から、酔っぱらいうつろな目をして暴力をふるう男に変貌する水澤紳吾の迫真の演技が圧巻です。
 

1-2. セクシーすぎる介護センター職員・太田理恵子

唐突な行動や過激さについ注目しがちですが、優香の演技はかなりのもの。
特に目の動きはかなり研究して撮影に臨んだんだろうことが推測されます。
歯磨きのシーン・食事シーン・キスシーン・自宅での逢引シーンのどれもが違った誘惑の仕方をしており「なんとなく隙のある、押しに弱い女の人」をうまく演じ切っていると感じました。
ほかの女性受刑者や町民に比べ、わざと化粧が濃くなっていたり、ぴったりした服を着たりする部分も
その後の展開を予感させる演出としてかなり効果的なので、二度目以降の視聴ではそのあたりも踏まえながら観るとより世界観に入り込みやすいかもしれません。
 

1-3. 臆病で無口な清掃員・栗本清美

ほぼセリフのない栗本を演じるのは市川実日子、もうこのような役をさせたらこの人以上はないといったキャスティングだと思います。
栗本の一番印象的なシーンといえば、やはり食べ残した魚を庭に埋めるシーンではないでしょうか。
清掃活動で海岸に埋まったゴミを掘り返し「そんなに時間をかけるな」とおこられるシーンを直前に挟んでいますが自分に必要ないものでも簡単には捨てられない、DVで自分を苦しめた彼氏を殺すまでどうにもできなかった彼女の性格を暗示している描写に感じました。
また、タイトルにもなっている「羊の木」が描かれた皿を拾うのも栗本。
もし、バロメッツを彼女が知っていて、その上であのような草のない場所に生き物を埋めていったのであればやはり彼女も殺人犯になるべくしてなったのかもしれないと思わせる、狂気の片鱗も感じられるようなシーンです。

1-4. 顔の傷のために怖がられる元暴力団員・大野克美

店でも祭りでも腫れもの扱いの大野。
「人が肌で感じることは大体正しいです」という発言のあとに、自らの過去を暴露した大野のセリフは今まで見た目や物腰で人にいいように見られなかったこれまでの苦しみ・諦めをほうふつとさせます。
それがあったからこそ、ラストシーンでの店長との2ショットは心が温まりました。
福元と同様、自己実現としてのハッピーエンドを迎えたキャラクターとして描かれています。
社会復帰できるかどうかは、罪の大小よりも生来の人間性というこの映画の肝の部分も大野・福元と宮越の対比でよりわかりやすく悲壮的に描かれていると感じました。

1-5. 平和な日常に退屈する漁師・杉山勝志

刺激を求め、受刑者を焚きつけていく杉山。
彼は、唯一「他の受刑者に自ら接点を作りに行く」キャラクターとして描かれ最終的に、唯一「殺人犯に殺された受刑者」にもなります。
そして、個人的には、唯一「本当の意味で更生し社会復帰したいと考えていなかった」人物だとも思っています。
その描写が、のろろ祭りの行列から外れて帰っていくシーンに表れていると感じました。
あのシーンは、これからラストシーンへ向かって不安感を加速させる、映画を通してもかなり印象的なシーンになっていたと感じます。

1-6. 謎多き宅配マン・宮越一郎

他の登場人物と、常に一線を画して描かれた宮越。
その違いはラストシーンまで平行線でした。
主人公である月末との生き方の対比がこの映画の大きな軸の一つ。
次章ではそこにスポットを当て、宮越の人間性や演出について深く掘り下げていきます。

2. 宮越と月末 二人の人物像・演出からみるこの映画の奥深さ

2-1. 登場シーン

初対面の月末に「殺人をした」と告白する唯一の登場人物。
警戒したり、送迎の月末とは会話にならなかった他の5人と違い、自分から話しかけたり、能動的なアクションが印象的な宮越の登場シーン。
そして、序盤に自分の犯した罪についても月末に話し、心を開いている人物像として描かれます。
ここの第一印象とラストシーンの変貌ぶりが、コントラストとして効いてきます。

2-2. のろろゲーム

子供と鬼ごっこのようなもので遊ぶシーン。
このような何気ないシーンで「少し危ない人かも…?」と視聴者に思わせるのが、映画全体を見てもとてもうまいです。
このような小さな「不穏貯金」によって、月末と宮越の距離が近くなるほどに視聴者はハラハラする仕組みになっていますね。

2-3. 喜怒哀楽がまったく出てこない松田龍平の気迫の演技

初対面でも緊張することなく、恋人の文の前でも人を殺す時もまったく表情を変えない宮越。
もともと得体のしれない外部者という設定の中でも、
他の受刑者は表情を崩すシーンや声のトーンなど変化がみられるシーンが多い中、極端に感情表現をしないのが宮越の不気味さ。
このような謎多きサイコパスの役どころとして、松田龍平はぴったりでしたね。
もともと目線の動きやセリフの間など、繊細な演技に定評のある役者さんですが、今回はその一切を排除し、人間性や感情をとことん殺した宮越という人物を演じ切っていました。

2-4. 「友達として?」

宮越が月末に「それって友達として?」と聞くシーンは二回ありますが実は、宮越が他人の感情を確認する場面はほぼここだけというのにお気づきでしたか?
殺人鬼であり、それを自覚していてもなお月末とは友情を築けるか月末にも自分自身にも確認していたのかもしれないと思うと、少し切ない気もします。

2-5. なぜ月末を殺さなかったのか

最終的に崖に一緒に心中しようとしますが、実はその前にも宮越にとって月末の殺人チャンスはいくらでもありました。
そこでは殺さず、あの崖の飛び降りを選んだのは自分の手で月末の殺人を選択することへのためらいなのか、自分の感情がよくわからなくなったのか宮越の心情は謎のままですが、考えさせられる選択だと思いました。

3. 「羊の木」のタイトルが意味するものについての考察

栗本が拾った皿に描かれていた羊のなる木の模様がそのまま映画のタイトルになっていますがモデルは「バロメッツ」というもので、羊が収穫できる植物のことです。
周りの草を食べて育ち、草がなくなると死んでしまう生き物。
でも自分自身も植物である…
ここからは私の主観ですが、羊=受刑者(特に宮越のような殺人犯)、草=殺人対象と置き換えるとこの作品のテーマが見えてくるような気がします。

4. まとめ

賛否両論ある映画ですが、個人的には細かい工夫がなされた質の高いサスペンスだったと思います。
ラストに至るまでのエピソード回収も綿密で、脚本・演出・俳優の演技力が融合された邦画ならではの繊細な描写が楽しめますので、何度見ても味わい深い映画だと思います。
公開からしばらく時間が経っていますので、一度ご覧になられた方も二回目の視聴でまた新たな気づきがあるかもしれませんね。