本稿では1989年公開のアメリカ映画「アビス」について解説と考察を交えて紹介していく。

この作品には完全版と呼ばれるディレクターズカット版と、劇場公開当時の公開版の2つのバージョンが存在する。
「アビス」を観ようと思っているが、どちらを観るべきか分からないという方の参考になればと思う。

1.作品紹介

「アビス」は1989年にアメリカで公開された海洋SF映画だ。
監督のジェームズ・キャメロンが高校時代に僅か1日足らずで書き上げた短編小説が元になっており、後年に自らが肉付けしたプロットを映像化したものである。

また本作は、当時まだ目立つ技術ではなかったSFXやCGといった技術をストーリーの重要な局面に盛り込んでおり、同年のアカデミー賞にて視覚効果賞を受賞している。

2.あらすじ

アメリカの原子力潜水艦が海底油田施設付近の海域にて行方不明になる。
海軍は同船に取り残された乗組員救出のため、掘削装置や居住区も兼ねた巨大海洋施設「ディープコア」に搭乗するバッドら民間の掘削員たちに救助要請を依頼する。

作戦には海軍特殊部隊から派遣されたコフィ大尉率いる数名の兵士たちも参加することとなるが、その中のひとりにはディープコアの設計者でありバッドと別居中でもあるリンジーも含まれていた。

複雑な思いを抱えながらも渋々と救出作戦に参加する掘削員たちであったが、深海に沈没した潜水艦にて、彼らは人類とは違う進化の形を遂げた海底人と遭遇することとなる。
その存在を信じようとしないコフィら特殊部隊は、次第に強い水圧や慣れない環境のストレスから正気を失っていき、ついには潜水艦に積み込まれていた核弾頭を入手してしまう。

潜水艦の沈没事故もソ連による攻撃だ、と狂言まがいな事を唱え始めるコフィとそれに対立するバッド率いるディープコア搭乗員たち。
更には海上から指示を送る海軍本部や民間会社のトップ達までもが登場し事態は緊迫した展開に・・・。

はたして、深海に住まう海底人の正体とは。

深海「アビス」を舞台に繰り広げられる本格海洋スペクタクル。

3.キャスト

ヴァージル・“バッド”・ブリッグマン(エド・ハリス)

本作の主人公。ディープコアのリーダーで、仲間からの信頼も熱い頼れる指揮官。

リンジー・ブリッグマン(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)

ディープコアの設計者として作戦に参加する女性。バッドとは別居中。

ハイラム・コフィ大尉(マイケル・ビーン)

海軍特殊部隊大尉として数名の仲間を引き連れ作戦の指揮を執る。
責任感の強い人間であり、時折独裁的な言動がみられる。
※マイケル・ビーンはキャメロン監督の「ターミネーター」にて主人公を守るため未来から来た戦士役でヒーローを演じている。

4.特殊効果

「ターミネーター2」「タイタニック」「アバター」など、公開当時の最先端技術を積極的に導入し壮大な映像作品に昇華させるハリウッドきってのヒットメーカーであるジェームズ・キャメロン監督。

今作でもその才能とチャレンジは遺憾なく発揮され、先述した特殊効果によりアカデミー賞にて視覚効果賞を受賞している。

中でもストーリー中盤に登場する「水」の形を自在に操ることのできる海底人の姿を、当時まだ一般に浸透していなかったCG技術で再現するなどで注目を浴び高く評価された。(ちなみにこの技術は後年に公開された「ターミネータ-2」に登場するT-1000にて効果的に使われている)

また、広大かつ暗黒が支配する深海である「アビス」を再現するため、スタッフと監督らはサウスカロライナ州に位置する廃棄された原子力発電所の巨大な格納容器に、大量の水と黒いビーズを入れ、実物大のディープコアのセットを作り暗い深海を再現した。
撮影終了後もセットは放棄されたままになっており2007年まで観光名所として親しまれてきたが、同年の発電施設の撤去に伴いセットも解体されることとなった。

他にも、劇中でバッドや掘削員たちが使用する水中呼吸が可能になる特殊な液体である「フロリナート」の使用など細かな設定が組み込まれているのも今作の魅力だろう。(劇中、実験のためにラットをフロリナートに浸すシーンがあるが、それは実際にラットを使用し全匹とも無事に生き残ったという。またラットは全てスタッフのペットとなったそう)

挙げれば切りがないキャメロン監督のこだわりばかりだが、それらの全貌は映画を観てその目で見届けて欲しい。

5.完全版と公開版の違い(ネタバレ含む)

さて、ここからは本稿のテーマでもある「完全版と公開版の違い」について書いていこう。

※ここから先はネタバレを含む記述があるため未鑑賞の方はご注意頂きたい。

完全版と公開版の違い。結論から言えば、それは『結末』の違いである。

まず今作「アビス」には140分の【公開版】と171分の【完全版】が存在する。

通常、完全版といえば配給会社や劇場側などの都合で尺に収まりきらなかったシーンなどを監督が編集し直したディレクターズ・カット版などとも呼ばれるバージョンのことだ。

大抵はカットされてもストーリーに大きく影響しない程度の、いわば監督のこだわりのシーン集というイメージを持たれる方も多いだろう。

しかし「アビス」に関しては公開版と完全版では物語の結末がひっくり返る程の雲泥の違いがある。

ではさっそく、どのような結末に至るのかストーリーの順を追って解説していこう。

※以下ネタバレ

海底人を見たというリンジーに対し疑心暗鬼になり取り乱すコフィ大尉たちは極秘裏に核弾頭をディープコア内に運び入れ、掘削員たちを拘束してしまう。それに対しバッドら掘削員たちはコフィ大尉の意表を突き核弾頭を取り返そうとする。

素手での殴り合いや小型潜水艇同士の激しい攻防が繰り広げられた結果、コフィの乗る潜水艇がバランスを崩し深海に飲み込まれてしまう。水圧によってコクピットが弾け飛び壮絶な最期を迎えるコフィ大尉であったが、ロープに括り付けられた核弾頭は時限装置を抱えたまま海溝の遥か下まで落ちていってしまう。

核弾頭爆発のタイムリミットが差し迫る中、掘削員らと改心した兵士たちは深海に潜水し手動で核弾頭の解除に向かうことを決意する。

限られた装備の中で単身潜水に立候補したバッド。意を決して深いアビスに潜水していくが、水位が深まるに連れ彼の意識は次第に朦朧としていく。ついに辿り着いた海底で核弾頭の解除に成功したその瞬間、彼の通信が途絶える。

泣き叫び悲観に暮れる仲間達からシーンは反転し、バッドに手を差し伸べる海底人の姿が映し出される。次の瞬間、海底に潜む海底人達の巨大な母船が姿を表し救われるバッドであったが・・・。

【公開版の結末】

海底人に救われたバッドは、母船に乗ったままディープコアと共に海上に浮上。
リンジーや仲間たちと抱き合いながら、空を覆っていた嵐も過ぎ去り、晴れ晴れしいシーンがインサートされ映画は幕を閉じる。

【完全版の結末】

海底人に救われたバッドは、彼らが人類に対し一掃計画を企てている事を聞かされる。幾度となく戦争や自然破壊を繰り返す人類に対し、水を自在に操ることの出来る海底人がその力を駆使して地上を大津波や天災によって葬ろうとしているというのだ。
当然、その計画に反対するバッドだが一掃計画は既に始まっており、地上では未曾有の大津波や天災が人々に襲いかかろうとしていた。それに対しバッドは人類の過ちを認め、これまで自分が守ろうとしてきた人たちや人間の愛の形について必死になって語り、ついに海底人達の計画を阻止する事に成功する。

その後、公開版の結末と同じシーンが描かれ終劇するのである。

以上が【公開版】と【完全版】の結末の違いである。

6.結論と感想

いかがだっただろうか?

ご覧の通り完全版では、津波のシーンや人類に対する海底人のアンチテーゼなどの根本的なテーマ性が描かれている。それに対し公開版は津波のシーンそのものがカットされ海底人たちがメッセージを伝えることもないので、ただのお人好しの海底人という感想を抱いてしまう結末となっている。

どちらのバージョンも爽やかなエンディングではあるが、キャメロン監督の描きたかったメッセージなどを汲み取るためには完全版を観る必要がある。

確かに171分(約3時間)という長尺に耐えうるだけの気合は必要であるが、良い映画とはその長さを感じさせることのないものである。

また、公開版の後に完全版を観直すことで、描かれなかった伏線を回収していくような感覚に陥る事もできる。

実はジェームズ・キャメロン監督の代表作である「ターミネーター2」にも完全版が存在しており、伝えられなかった真のメッセージが描かれている。

劇場公開時の様々な都合などにより、本当に描きたかった事を観れないままにしておくのは非常にもったいない。
様々な媒体で映画というコンテンツを楽しめる今の時代だからこそ、ブルーレイを手に取るなりデジタル版をダウンロードしたりと、鑑賞の幅を広げて欲しい。

彼の作品を隅々まで味わいたい方はぜひ【完全版】を鑑賞されることを強くオススメする。